2026/01/15 15:03

自然豊かな城下町、会津若松

福島県会津地方、山々に囲まれた会津盆地に広がる城下町・会津若松。


シンボルの鶴ヶ城をはじめ、武家文化の名残と人情味あふれる町並みが魅力です。


幕末の戊辰戦争では「義を重んじる会津魂」を貫き、その誇りは今も息づいています。


会津塗りの漆器や起き上がり小法師、会津木綿などの伝統工芸、雪景色の鶴ヶ城や春の桜まつり、秋の会津藩公行列など、四季を通して訪れる人を楽しませる見どころが満載。歴史と自然、そして人の温かさが調和する心に残る町、それが会津若松です。



会津若松とお茶の関わり

魅力のあふれる会津若松は、実はお茶とも深い関係があります。


天正18年(1590年)、天下統一を進める豊臣秀吉の「奥州仕置」によって、名将・蒲生氏郷(がもううじさと)が会津へ入りました。


氏郷は、織田信長の娘婿で、武勇に優れるだけでなく、文化にも深く通じた人物でした。特に茶道をこよなく愛し、千利休の高弟「利休七哲」の筆頭に数えられています。そんな氏郷が、茶の湯の心をこの会津の地にも伝えたのです。


天正19年(1591年)、千利休が秀吉の怒りを買って亡くなったのち、利休の子である千少庵(せんのしょうあん)は危機に直面します。利休の茶道が途絶えてしまうことを惜しんだ氏郷は、少庵を密かに会津へかくまい、後の表・裏・武者小路の三千家の存続を後押ししました。


もしこの助けがなければ、現在の茶の湯文化は続かなかったかもしれません。


氏郷が少庵をかくまった際に建てられた茶室「麟閣(りんかく)」は、今も鶴ヶ城公園内に残り、当時の精神を静かに伝えています。


 

会津のお茶文化と紀州園

時を経てお茶は会津の暮らしに深く根づきました。


雪に包まれた冬の朝に身体を温める一杯、大切な人との楽しい時間を彩る一杯。お茶はいつの時代も、会津の人々の心に寄り添ってきました。紀州園がこの町でお茶をお届けしているのも、そんな文化の流れの中にあります。


会津の心とともに、これからも「やすらぎの一杯」をお届けしてまいります。